「避難計画は非現実的 再稼働すべきでない」  元日本原電幹部


東日本大震災・福島第1事故10年 電力会社元幹部が振り返る教訓
避難計画は非現実的 再稼働すべきでない
    「しんぶん赤旗」 2021年3月11日

 2011年3月11日に東京電力福島第1原発事故が起きてから11日で10年になります。原発を運営、推進してきた電力会社元幹部は、事故の教訓をいまどう受け止めているのか―。 (三浦誠)

 敦賀原発や東海第2原発を持つ日本原子力発電の元理事で社長室長だった北村俊郎さん(76)は、事故当時、沿岸部の福島県富岡町に住んでいました。自宅は福島第1原発から約7キロの地点です。
 事故翌日、全町民に隣の川内村へ避難するよう指示が出ました。「川内村まで普段なら車で20分。大渋滞で5時間以上かかった」
 富岡町の記録集によると、避難情報が届かなかったり、親が寝たきりで逃げられなかったりした町民が取り残されました。
 第1原発の状態悪化で川内村から再び避難を強いられます。行きついたのは郡山市の展示場「ビッグパレットふくしま」。2000人を超す避難者が集まり、共同生活を開始。しかし避難から1カ月すぎても床にダンボールと毛布をひいて寝る生活は変わりません。食事も基本的に菓子パンとコンビニおにぎりでした。

「待機」できない
 記者が北村さんを初めて取材したのは11年11月。当時、業界団体「日本原子力産業協会」の参事だった北村さんは、こう語りました。「僕は原子力が大事だと思って一生懸命やってきたが、住民をこんな目にあわせては駄目だ。避難計画のことを考えると原発の運転再開は厳しい」
 事故から10年たったいまも、北村さんは原発災害の避難計画が現実的でないと考えています。
 内閣府は原発事故がおきた場合、▽原発から5キロ圏内の体が不自由な人などから避難を始め、次に一般の人が避難する▽5キロから30キロ圏内の人は自宅待機し、放射線量が高くなったら避難する―という計画モデルを提示しています。
 「10年前ですらSNSで情報が流れ、多くの人が行政の避難指示より前に避難した。SNSがさらに発達したいま『自宅待機』と言われて落ち着いていられるわけがない」

さらなる問題も
 新型コロナウイルスの流行で新たな課題も出ています。原発事故では避難所に放射性物質が入らないよう密閉することが求められます。逆にコロナ対策では避難所の換気が求められます。「ビッグパレットでもノロウイルスが流行し大変だった。さらにコロナ下で事故対応の支援や避難者を支えるボランティアが来ることができるのかという問題がある」
 北村さんは原電本社と敦賀原発などの現場を交互に勤めあげ、安全管理、人材育成などの報告を国内外で行ってきました。米国、ロシアなど世界中の原発も調査。それらの原発は砂漠のような近隣に人が住んでいないところにあるといいます。
 他方、日本では原発の近くに多くの住民が住んでいます。しかも多くの原発は半島や山に囲まれた狭い場所にあります。

 北村さんは指摘します。「日本では事故が起きたら逃げるルートが限られる。原子力規制委員会は事故が起きたら対策の中心になる。それなのに避難計画に関わらないとしており、自治体がつくった避難計画を誰もチェックしていない。本当に実現可能な避難計画ができなければ、原発は再稼働すべきではない」